創建は明らかでない。 文安四年(一四四 七) 神殿再建。永正十二年(一五一五) 再建。社号の 儀元山王社と称していたが、明治三年大己貴社と改称。 同五年、村社に列格し、同四十一年十月二十六日、指 定社となる同四十二年、社名を改称した。 同三十四 年十二月、当時の社掌稲田糺の記録に「古老の傳説」と して本社は今の社地より西北の平地にありて、社地広 大なりしを現今の所に移す(年月不詳) 旧地は今宅地、田にに変わるも、往古は本地仏塔の跡ありて、時々古代 製の厚き瓦又掘立柱の根数個掘出せることあり。明治 五年三月、桧にて七尺廻りのもの六個を掘出せりと遺物より考ふるに創立は極めて上世の社と察せられ候、とある。
なお、社名の読みは、愛知県神社庁によれは、おおなむちじんじゃが正しい。