えっちゅうごこくはちまんぐう
富山県富山市八幡718
約2000年前、富山市八幡に御鎮座になったとされる、富山でも最も古い歴史をもつ神社の一つ。 聖武天皇の時代には、各国に一国一社の八幡宮とされ、「やはたの宮」「護国八幡宮」「一国一社八幡宮」等として..
約2000年前、富山市八幡に御鎮座になったとされる、富山でも最も古い歴史をもつ神社の一つ。 聖武天皇の時代には、各国に一国一社の八幡宮とされ、「やはたの宮」「護国八幡宮」「一国一社八幡宮」等として、古くから参拝者に親しまれる。
御祭神は、大幡主命(大若子命)・誉田別命・息長足比売命・玉依姫命・天照大御神・豊受大神。
第11代垂仁天皇84年、大若子命(後の大幡主命)が越の国の凶賊である阿彦平定を終え、当社を造営し帰落した。当地の住民が大幡主命を慕って、奉斎したのが創祀。 飛鳥時代、文武天皇(在位:697年-707年)が「忠孝」の二字を自書して忠孝の意義を教えられた時、甲良人麿がこれを奉じて越路に下って教諭したという。 越の民は、高梨野の丑寅内山に高々と石壇を築いて迎え、二字の札が磨滅するのを恐れて当社に祠を作って安置した。 奈良時代、聖武天皇が各国に、一国一社の八幡宮、いわゆる国府八幡宮を創立した時、当社に誉田別命・息長帯比賣命・玉依日女命を合わせ祀って八幡宮を奉斎した。 平安時代の弘仁2年(811年)8月15日、越中護国八幡宮の神霊を奉載し、護国八幡宮とも呼ばれるようになった。現在も鳥居の扁額に「越の國一國一社 護國八幡宮」とある。
大幡主命(大若子命) 誉田別命 息長足比売命 玉依姫命 天照大御神 豊受大神
創祀 : 垂仁天皇84年(西暦55年)
八幡の宮、一国一社八幡宮、護国八幡宮、八幡さま、等
8:30〜17:00
無料
有り 【神社前】約2台 【神社横広場】約20台