多古藩陣屋は、 現在の多古第一小学校周辺の小高い場所に築かれました。多古は、古くから名族千葉一族ゆかりの地で、享徳の乱に端を発した一族の内紛で千葉市宗家が多古で滅ぶなど、中世を通して下総国内で重要な地でした。寛永12年(1635年)に8千石の旗本松平(久松)勝義が、上総国武射郡と下総国香取郡に所領をもらい、多古に陣屋を構えます。 これが多古藩陣屋のはじまりです。そして、延宝8年(1680年)に家督を継いだ勝義の九男勝以(かつゆき)は加増を受け、1万2千石の大名となり、多古藩が再び立藩されました。以後、久松松平氏が多古藩領主として存続し明治に至ります。当時、陣屋の敷地は板塀や石垣で囲われていましたが、現在は多古第一小学校の校庭となり、陣屋前面の石垣の一部がわずかに残るだけです。しかしながら、全国的に石垣が築かれた陣屋は珍しく、このことからも多古藩1万2千石の威光が想像でき、この陣屋が多古藩の政治の中心地であった往時が偲ばれます。