うまおかにったじんじゃ
徳島県三好市井川町井内西22
創立年代不詳。旧神饌幣帛料供進神社。当社は、延喜式内社波尓移麻比弥(はにやまひめ)神社とされる。屋島の合戦に敗れた平国盛が安徳天皇を守護し、元暦2年(1185)井内に落ち来て地福寺に逗留、のち祖谷の..
創立年代不詳。旧神饌幣帛料供進神社。当社は、延喜式内社波尓移麻比弥(はにやまひめ)神社とされる。屋島の合戦に敗れた平国盛が安徳天皇を守護し、元暦2年(1185)井内に落ち来て地福寺に逗留、のち祖谷の栗枝渡(くりしど)に渡り、天皇はその地で崩御された。当時当社は地福寺の管轄下にあり、寺は天皇の御分霊を馬岡大明神と称え奉り、波尓移麻比弥神社に合祀し、「波尓移麻比弥神社馬岡大明神」となった。更に、南北朝の末に新田義治が井内に来て八つ石城を築き南朝再興に備えたが、応永元年(1394)死去し、岩坂に新田大明神を建立して御霊をお祀りしたが天正末年(1592)頃、当社に合祀して「波尓移麻比弥神社馬岡新田両大明神」となった。明治4年(1871)郷社に列し、明治27年7月6日当時の宮司、神社総代ら4名の者が「馬岡新田神社」への改称の意義を説き、徳島県に出願したところ承認され同年7月10日現社号となった。
埴山姫命(はにやまひめのみこと) (相殿)倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 天神玉命(あまのかみたまのみこと) 大己貴命(おおなむちのみこと) 少彦名命(すくなひこなのみこと) 水波女命(みずはのめのみこと) 安徳天皇(あんとくてんのう) 新田義治公(にったよしはるこう)
延喜式内小社 旧郷社
創立年代不詳
腰組付入母屋造(三間社)
11月3日
有り。
無し。