れんげじ
島根県雲南市大東町東阿用183
古伝によれば昼は瑞雲たなぴき夜は光明の輝くを見て観音様がこの山に移りたいとのお告げと感じ元の低い場所より現在地に堂宇を建立し、山号を明峰山と名づけられた 観音堂は文政十一年(1828)に再建されてい..
古伝によれば昼は瑞雲たなぴき夜は光明の輝くを見て観音様がこの山に移りたいとのお告げと感じ元の低い場所より現在地に堂宇を建立し、山号を明峰山と名づけられた 観音堂は文政十一年(1828)に再建されている 本尊十一面観世音菩薩は仏師賢門子の作と言われ三十三年毎に開扉される座像の秘仏である 開創は天平年間(729~748)とも伝えられ、もと天台宗であったが曹洞宗となり今日に至っている 観音堂うらの駐車場を少し下がった樹林の中に昔より諸病の薬水としての御符井戸があり 今も病気平癒を願う参拝者の姿が見受けられる 又境内の鎮守秋葉三尺大権現は防火の権現様で今よりおよそ二百年前の寛政九年、東阿用石田屋佐藤家三代当主庄蔵氏が本願となり住職を共に遠州(静岡県)可睡斎より観請し来り、祀られている 境内から西南の方向に史蹟で知られる磨石山がある 戦国の昔阿用城主桜井宗的と尼子経久、政久父子等の武将達が城の攻防をかけて幾度か激しい戦いをくりひろげた城址のあるところで険しい道を頂上にたどり着き眼下の風光を一望の中におさめ暫したたずめば遠い昔が偲ばれる旧蹟である
明峰山
曹洞宗
奈良時代前期天平年間(729~748) 又は奈良時代後期延暦年間(782~805)
十一面観世音菩薩
出雲三十三観音霊場 第十四番札所
無料
45分
有り