ちかつじんじゃ
栃木県栃木市本城544
近津神社は、鎌倉時代人皇第九十二代、伏見天皇の御代、西方城初代城主西方遠江守烏丸景泰が、老臣山田丹後守道純、中新井美濃守高昌に命じ、社殿を造営し宇都宮二荒山神社の御分霊を勧請し、大己貴命、事代主命、..
近津神社は、鎌倉時代人皇第九十二代、伏見天皇の御代、西方城初代城主西方遠江守烏丸景泰が、老臣山田丹後守道純、中新井美濃守高昌に命じ、社殿を造営し宇都宮二荒山神社の御分霊を勧請し、大己貴命、事代主命、武甕槌命を祀り、西方家の氏神、西方郷十三ヶ村の総鎮守として創建した社である。時に永仁元年(1293年)九月廿九日であった。以来、天正十五年西方氏七代太郎左衛門綱吉に至る二百九十余年代々篤く尊崇せられ、また結城、壬生、宇都宮、岩槻、古河の城主や代官崇敬の社として、多くの神田、社領を有した。 記録によれば万治元年(1658年)に御本殿、寛文十二年(1672年)に一の大鳥居が建立された。 祭礼は丑の刻、座持と称する西方郷の旧臣六十七名が神前に列座し、祭典を執行、終わって神饌を拝戴し朝日の昇るを待って退席、次に郷内氏子一同、社参して付祭典の相撲興行、獅子舞奉納を行う習わしであった。 元文二年十一月神位宗源宣旨正一位が授けられた。 往古より神主は阿久津氏、別当は仙蔵院が奉仕された。 明治五年、郷社に列せられた。
永仁元年(1293)、時の西方城主の命を請け、宇都宮二荒山神社より御分霊を観請。以降天正15年(1587)までの290余年、代々篤く尊崇され、また結城・壬生・宇都宮・岩槻・古河の城主や代官らの崇敬社として多くの神田・社領を有しました。
大己貴命 事代主命 武甕槌命
旧郷社
永仁元年(1293年)九月廿九日
栃木ふれあいバス金崎線 工業団地東交差点停留所より徒歩約4分 東武日光線東武金崎駅より徒歩約30分
有り