あたごじんじゃ
宮城県栗原市一迫字萩生35
後冷泉天皇の康平5年(1062、平安)源頼義の勧請と伝える(口碑)。文治年間(3年か)源義経 秀衡を頼って越後路から奥州に下向の砌り当所に忍び滞留の節、阿弥陀経、法華の三部の経文を埋め経塚を築いて武..
後冷泉天皇の康平5年(1062、平安)源頼義の勧請と伝える(口碑)。文治年間(3年か)源義経 秀衡を頼って越後路から奥州に下向の砌り当所に忍び滞留の節、阿弥陀経、法華の三部の経文を埋め経塚を築いて武運を祈請したという。(安永風土記書出、口碑)明治4年11月郷社に列したが、同8年8月村社となる。
東北自動車道築館ICから車で20分