あいざわじんじゃ
静岡県御殿場市新橋725
鎌倉の北条義時により執権政治が行われていた承久3年(1221年)、後鳥羽上皇は政権を朝廷に取り戻そうと倒幕計画を進めた。これを知った幕府は直ちに兵を挙げ京を攻め落としたのが承久の乱。 首謀者とされ..
鎌倉の北条義時により執権政治が行われていた承久3年(1221年)、後鳥羽上皇は政権を朝廷に取り戻そうと倒幕計画を進めた。これを知った幕府は直ちに兵を挙げ京を攻め落としたのが承久の乱。 首謀者とされた後鳥羽は隠岐島へ配流され、主だった上皇方の公卿や御家人を含む武士達が粛正されました。藤原光親とともに捕らえられた5人の公家の一人が藤原宗行だった。 承久3年7月14日宗行(47歳)は京より鎌倉に送られる途中、鮎澤において小山新左衛門尉朝長の手により最期を遂げたと吾妻鏡に記されている。 宗行は上皇の信任も厚く、学識深く文学に秀で多くの詩歌を残し、人々からも「お公家さん」と呼ばれ親しまれていることから、ここに藍澤神社を創建し祀っている。 約700年後の昭和時代になり、後鳥羽上皇の側近だった他の4人の公家、藤原光親・源有雅・藤原範茂・藤原信能を合祀して、藍澤五卿神社として至っている。 社殿の左に建つ石碑の部分が宗行の塚である。
藤原宗行 藤原光親 藤原範茂 源有雅 藤原信能
藍沢五卿神社 五卿神社
JR御殿場線 御殿場駅 から徒歩8分(661m)