千葉県市原市にある鶴舞城は養老川の支流である平蔵川の右岸の台地上に位置します。この辺りには縄文土器が出土している鶴舞遺跡もあり、古代から集落があったことが確認されています。浜松定6万石の城主だった井上正直公が、明治元年(1868年)の徳川家移封に伴い、鶴舞へ転封となりました。敦賀羽を広げているような地形をしているため、この地は正直公自身により、「鶴舞」と名付けられました。その際、井上家が新しい領地として開発したのが、現在の鶴舞小学校を中心とするエリアです。明治3年には藩庁、知事邸宅、家臣屋敷などが完成し、城下町が形成されました。そのため、「最後の城下町」の異名をとっています。