やまだしんぐうじんじゃ
広島県広島市西区山田町140
盆地状のこの地には、昔大池があったという。この池の辺りに人が住み始めたのは、定かではないが古代山陽道が整備された七~八世紀ごろと思われる。中世、大内氏が石内村に「水晶城」を築きさらにその出城として、..
盆地状のこの地には、昔大池があったという。この池の辺りに人が住み始めたのは、定かではないが古代山陽道が整備された七~八世紀ごろと思われる。中世、大内氏が石内村に「水晶城」を築きさらにその出城として、この池の近くに「狐ヶ城」を築いたのが寛政年間頃といわれ当時はこの時代、城の鎮守社として、又住民や池の守護神として祀られたのが、創祀として伝えられている。この大池の水は下流域の重要な用水であった為、住民はこの池の管理も任されていたという。大内氏が滅び廃城となった後、住民は城主たちの供養の為、虚空菩薩を安置した仏堂を建立、旧裏御門跡の字門山の地に鎮守社と合わせ祀った。これが天正年間頃といわれ人家も八~十軒近く増え、この頃大池も埋められたという。明治始めの神仏分離の際、仏堂はそのままに置かれ、鎮守社は免田の地に遷され、以降、村民守護の産土神として篤く信仰されてきた。
速玉男之命、伊邪那美命、事解男之命、事代主之命、大巳貴之命、須佐之男命、倭建之命
無料
無し
有り