ひろしまなかつみや
広島県広島市中区基町5−63
室町時代の末期、当時の豪商中津某が筑前宗像大社から勧請したのに起源すると伝えられる。 天正十七年(一五八九年)毛利輝元公の広島築城に際し城郭の西の守護神として鎮祭された。 廃藩後は第五師団の小姓..
室町時代の末期、当時の豪商中津某が筑前宗像大社から勧請したのに起源すると伝えられる。 天正十七年(一五八九年)毛利輝元公の広島築城に際し城郭の西の守護神として鎮祭された。 廃藩後は第五師団の小姓町倉庫の一角に祠として祀られていたが、土岐の師団長二宮治重中将が霊夢に中津宮のお告げを受け、昭和十年広島招魂社の北側に社殿を建立祭祀した。 昭和二十年八月六日原子爆弾により社殿を失い、仮の小祠により祭祀を続ける。 昭和三十年崇敬者川本福一氏等の奉賛により此の地に社殿を造営し、同三十三年宗教法人法による神社として登記され現在にいたっている。
市杵島姫命 大国主命 八衢比古命
無料
無し