うすやまはちまんじんじゃ
広島県広島市佐伯区五日市町石内3410
延暦2年(783)、神社の背後に広がる石内水晶城の山麓に小祠が建立され、豊前宇佐から八幡三神を勧請して奉斎された古社である。 石内は、古代山陽道の要衝として栄え、源平合戦の最中には、通称・蒲冠者..
延暦2年(783)、神社の背後に広がる石内水晶城の山麓に小祠が建立され、豊前宇佐から八幡三神を勧請して奉斎された古社である。 石内は、古代山陽道の要衝として栄え、源平合戦の最中には、通称・蒲冠者と呼ばれた源範頼が当地に陣を張って当社を篤く崇敬した。源範頼とは、兄・頼朝に代わって源氏軍の大将となった人物で、壇ノ浦の戦いで平家を滅亡へと追い込んだことでも知られる。 時代は降って戦国時代には、防長の大名である大内氏の家臣で当地水晶城の城主、麻生右衛門が造営寄進し、また戦国大名の毛利氏や広島藩主浅野氏など武家からの崇敬も受け、社領の奇進や釣燈籠、武具、宝物などが奉納された。 明治6年に「村社」に列格し、同41年には石内地区に鎮座している無格社4社を合祀。 昭和15年には、皇紀二千六百年記念事業として、社地の拡張整備。昭和51年と平成12年にも屋根の葺き替えや手水舎の新築工事を行うなど境内整備が進められている。
帯仲津碑彦命(たらしなかつひこのみこと) 息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと) 品陀和気命(ほんだわけのみこと)
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