だいほうじ
富山県富山市梅沢町2丁目10-5
海秀山大法寺は富山市梅沢町にある日蓮宗の寺院。 大法寺の創建は慶長11年(1606)、照盛院日行上人が日蓮宗の寺院として開いたのが始まりと伝えられています。富山藩2代藩主前田正甫は貞享3年(168..
海秀山大法寺は富山市梅沢町にある日蓮宗の寺院。 大法寺の創建は慶長11年(1606)、照盛院日行上人が日蓮宗の寺院として開いたのが始まりと伝えられています。富山藩2代藩主前田正甫は貞享3年(1686)に一龍院日徳上人(第8世)の教化により日蓮宗徒となり寺領9千坪、赤梅壇の釈迦牟尼仏立像を寄進するなど大法寺を篤く庇護し自らの菩提寺に定めています。さらに元禄4年(1691)には領内の日蓮宗寺院の首席と定め大きな影響力を持つようになります。 富山藩の菩提寺は当初、初代藩主前田利次によって曹洞宗の光厳寺と定められていたことから3代目以降は1代毎に菩提寺が光厳寺と大法寺とに交代し菩提を弔うことになりました。梵鐘(越中出身の鋳造師藤原朝臣川辺千右衛門家延作、高さ130cm、直径91cm、重さ約1トン)は6代藩主前田利與が初代から5代藩主までの追善供養の為に明和4年(1767)に寄進されたもので文久3年(1863)の火災、明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後吹き荒れた廃仏毀釈運動、太平洋戦争時の金属供出、富山大空襲など多くの災難から逃れてきている為"厄除け招福の梵鐘"と呼ばれています。 境内正面にある"管神祠(富山藩の細工師作、宝形造、銅板葺)"は前田家の祖とされる菅原道真を祀ったもので天保3年(1832)9代藩主前田利幹が富山城内に建立したもの廃藩置県後に2度移転後に昭和34年(1959)に前田家縁の本寺に移築寄進したものです。境内には薬種商の松井屋源右衛門や富山藩家老の墓などが建立されています。宗派:日蓮宗。本尊:日蓮聖人奠定の大曼荼羅。尚、歴代藩主の墓碑は長岡御廟に建立されています(現在は神式で祭祀が行われています)。
海秀山
日蓮宗
1606年
大曼荼羅
照盛院日行
富山地方鉄道市内線広貫堂前駅から徒歩約5分
有り