みょうこうじ
長野県上田市中央3-8-30
当山は、天文元(1532)年井上長大夫居士の発願により、法泉院日雲上人を開山と仰ぎ、一堂を創建し、法泉院と称するに始まる。以降、四世まで法泉院代である。
寛永七(1630)年2月、徳川二代将..
寛永七(1630)年2月、徳川二代将軍秀忠公の夫人崇源院(浅井長政公の娘お江与)の中陰諷経(ふぎん)に関する出仕・不出仕問題に端を発した、江戸城内における池上・身延両派の対決(身池対論)に、江戸碑文谷妙光山法華寺11世修禅院日進上人は、池上方として参加する。その結果4月、不受不施義(日蓮宗の檀信徒でない者の為には読経せず、供養も受けず)に共鳴連座したの罪により、徳川幕府より上田城主仙石侯に預けられる(遠地追放)。 日進上人にとっては島流しとはいえ、法華経の色読(「数数見擯出」法華経の行者はしばしば島流しの法難にあう) という、法華経に説かれていることの実践であってかえって如説修行の法悦であった。以後日進上人は花押の中に、「出」の一字を書き入れている。
日進上人、当地にあること34年、弘教伝道せられる。上田城主仙石政俊侯は、自らが開基となり、住庵法泉院を改めて修禅山妙光寺を開創せられる。日進上人をして寺号初祖、中興開山と仰ぐ。
日蓮宗
天文元年(1532)
法泉院日雲上人
上田城主仙石政俊侯
1664年
日進上人
開運厄除弁財天
上田駅 から徒歩9分
無し
有り (駐車場はありますが、一方通行と細い路地の為、車での訪問はお勧めしません)