りゅうせんじ
奈良県吉野郡上北山村小橡228
奈良時代、役行者の修験道の宿坊として吉野に7ヶ所の龍泉寺を開創し、その1つである『白雲山 龍泉寺』が始まりとされている。 平安時代には真言宗醍醐寺の末寺となり吉野大峰の修験道場となる。 南北朝..
奈良時代、役行者の修験道の宿坊として吉野に7ヶ所の龍泉寺を開創し、その1つである『白雲山 龍泉寺』が始まりとされている。 平安時代には真言宗醍醐寺の末寺となり吉野大峰の修験道場となる。 南北朝時代の嘉吉3年(1443年)、南朝の再興を図った後南朝の指導者である皇胤の南帝王北山宮(尊秀王)が神璽を奉し北山宮御所とし、王住山 龍泉寺と号するようになる。 長禄元年(1457)12月2日、神璽奪還を目指す赤松遺臣の襲来(長禄の変)により尊秀王、忠義王兄弟が殺害され三種の神器が統一し、後南朝終焉の地となる。 江戸時代の1665年、京都宇治の興聖寺の末寺となり曹洞宗に改宗。 明治時代になってから、宮内庁は本堂背後の丘を北山宮陵墓(後亀山天皇玄孫北山御陵)と指定し、南帝山 瀧川寺と号すようになる。
南帝山
曹洞宗
710年~700年代中頃
地蔵菩薩像
聖法理源大師(真言宗醍醐派)
1665年(曹洞宗に改宗)
五部大乗教、刀剣 等
8月16日 長禄の変殉職者追弔施食会 12月2日 正當陵前祭
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