うながみじんじゃ
三重県いなべ市大安町宇賀 1070
勧請年月不詳。『宝永八年(一七一一)の村差出帳』に、「氏神神明、八幡、明見、西明寺、天王、天狗、山之神」とある。『伊勢輯雑記』に、「宇賀神の社 祭神宇賀神庚申と称し奉り猿田彦命也、『布留屋草紙』に曰..
勧請年月不詳。『宝永八年(一七一一)の村差出帳』に、「氏神神明、八幡、明見、西明寺、天王、天狗、山之神」とある。『伊勢輯雑記』に、「宇賀神の社 祭神宇賀神庚申と称し奉り猿田彦命也、『布留屋草紙』に曰、宇賀村宇賀神社神名帳に出、祭神宇賀御魂神と云々、今按に宇賀神社の社号は延喜式員弁郡十社の内に見えず、桑名郡一五座の内に宇賀神社と云ふ社名見えたり、其の祭神は『伊勢式内神躰考』曰、倉稲魂神と云々、桑名郡内に其の社を不拝定めて当社の事か。一説には当社は妙顕の社也ともいへり、又、旧事記を考ふれば、宇迦能山に大己貴神須世理姫宮柱太しく立てる由見えたり、当社の事なるにや。拝殿あり近年建立、村の惣産社にて往古は大社なりき。神明宮 村の内に在り。牛頭天王社 村の内に作り。西の明神社 在り。天白大明神の社 三下道の辺田所の中に在り。八幡宮 天白社境の北の方字粟田と云ふ所に在り。最明寺社 神殿東向祭神の事旧記に、最明寺入道時頼公諸国徴行の砌、当国に来り福王山の麓則此所に暫笈をゆるめて御休足なし給ふ、時に御詠歌あり、其旧跡に御霊を勧請する所也と。一説には其の事西行法師の事也と、されば当社は西行社也と見えたり、『東海道名所図会二巻』曰、西行庵跡朝明川上の方二里計、福の山の麓也と云、今旧跡定かならずと云々。『山家集』に曰、伊勢の西福山と云所に侍りけるに庭の梅芳しく匂いけるを、《柴の庵によるよる梅の匂ひ来て やさしきかたもある住いかな》西行法師と云々。 『新編伊勢名所拾遺一巻』には、此山家集を引きて西福王と出し、郡不知の部に載たり。『田口福王山根元記』に曰、最明寺時頼公暫田口村西行庵に滞留の後、福王の麓北川の辺りに庵を結び一ケ年の間寓居し給ふ、今の宇賀村地内最明寺の宮是也。里人仁徳を慕ひ庵の跡に最明寺殿を勧請す、是旧跡の印也、社境の外注遷迄の間詣道の並木文化七年(一八一〇)所植也。」と記されている。
《主》菟上王 《配》若倭根子日子大毘毘命,曙立王 《合》須佐之男命,市杵島姫命,天照大御神,誉田別命,大山祇神,天目一箇神,三筒男神,
式内社
春祭2月下旬 秋祭10月中旬