おおたにじんじゃ(おおいずみ)
三重県いなべ市員弁町大泉 1202
境内が南北に長いので昔から「長宮さん」と呼ぶ。『員弁郡郷土資料』に「祭神は水分神・天兒屋根命にして大泉村大字大泉長宮に鎮座す、昔当社より水晶の小玉を出したりと 云う。当神社に斎き祀る天兒屋根命は春日..
境内が南北に長いので昔から「長宮さん」と呼ぶ。『員弁郡郷土資料』に「祭神は水分神・天兒屋根命にして大泉村大字大泉長宮に鎮座す、昔当社より水晶の小玉を出したりと 云う。当神社に斎き祀る天兒屋根命は春日大明神と称え、太古より現社地則ち此長宮に鎮り座して大泉村の氏神なり。古昔大和国三笠山より伊勢国桑名へ御分霊の際此の地に休輿在りし由縁により勧請せしなりと。社地は古領主内藤内蔵輔なるものの寄附にして、高二六石余の地所明治八年(一八七五)地租改正の際迄除税地として優待を受けたりき。水分神は延喜式神名帳に記載せらる、式内大谷神社これなり、当社は昔時此の大泉村南方員弁川を去る数町の地に大谷村と呼びし一村落ありしが、明応八年(一四九九)六月一〇日の大洪水の為大谷村は流失し、氏子悉く大泉村に移住せしより大谷神社を春日神社即ち長宮へ合祀し、社名を大谷春日大明神と称するに至れり、大谷村の旧地は今尚一小社ありて、地名を新貝或は川中島と唱え来りて悉く大泉村に属す。(中略)而して大泉村は数村の本郷にして則ち今の西方・東一色・金井等は一部中の村落なり、故に旧来此の長宮則ち大谷神社を四ケ村の惣氏神として、祭典の節には、領主より神前の幕提燈等を供へられ、宮吏を派出して諸事を総理せしめ、最も厳重なる事にてありき。其後領主桑名松平越中守定重の家臣野村増右衛門と云う者ありて、此の長宮の地形開墾に易く耕地に適するを以て、神社を北方なる茶臼山に移し奉り社林を皆伐して田圃に開墾せし所、稲実悉く黒穂となりて毎年実らず、村民神意に叶はざるを恐れ領主に具申して再び長宮へ遷座し、社地には悉く植林して現今に至る云々」とある。明治四一年に次の諸社を合祀した。稲荷神社(保食神)字長宮鎮座、神明社(天照大御神)字長宮鎮座・字神垣鎮座、松尾御厨神明社(天照大御神)字松ノ本鎮座、春日神社(天兒屋根命)字西方鎮座であったが、合祀の松尾御厨神明社と春日神社は昭和二一年一一月旧地に分祀した。
《主》水分神みくまりのかみ,天児屋根命あめのこやねのみこと 《合》宇気母智神,天照大御神,
延喜式内社 村社
長宮様ながみやさん 大泉大谷神社
秋祭10月第1日曜