いけだじょうあと
大阪府池田市城山町3-46
池田城は、建武元年(1334年)前後に豊島の土着豪族池田教依が築き、代々池田氏が城主を務めました。 標高50mの高台に位置し、五月山の南麓の東西に延びる尾根を利用し、西側には崖、北側には杉ヶ谷川を..
池田城は、建武元年(1334年)前後に豊島の土着豪族池田教依が築き、代々池田氏が城主を務めました。 標高50mの高台に位置し、五月山の南麓の東西に延びる尾根を利用し、西側には崖、北側には杉ヶ谷川を取り入れ、東、南には堀(最大幅で25.7m、深さ6.5mという大規模なもの)と土塁を配置し防御効果を高め、畿内でも屈指の規模を誇った城郭として知られています。 池田勝正が城主の時に、織田信長に摂津三守護のひとりに任命され活躍しました。 しかし、「池田21人衆」のひとりとして頭角を現した重臣の荒木村重が、主の池田勝正を追放し、勝正の弟知正を城主にして池田を支配してしまいました。 その後、村重は織田信長につくことが有利とみて織田信長の家来になり、高槻の和田氏と伊丹氏を倒しました。そして、伊丹城を有岡城と名前を変えてここに移ったため、池田城は1574年に廃城となりました。 現在は「城跡の歴史を感じられる憩いの場」として池田城跡公園が整備されています。
阪急電鉄宝塚本線池田駅から徒歩15分
午前9時~午後7時まで(11~3月:午前9時~午後5時まで)
無料
五月山緑地駐車場(有料)
有り