「延喜式神名帳」に賀茂郡七座の内の兵主神社とあり、「国内神名帳」に正五位下、兵主大神と記るす。社記に賀茂郡高橋の庄大嶋の郷大嶋大明神は第十代崇神天皇の代大己貴命の十一世の孫賀茂の君大鴨積命が漸くこの世に居住し先祖の神を祀るに故実により出雲の杵築大社に模し高橋を造る。故に昔より地名を高橋と云い、賀茂の君の居住にて賀茂の郡と、兵主は器主(ウツワモノヌシが約ってツワモノヌシ)。
大島は往古は水四方に流れ島の如しと「式内考」に渡辺政香はいう。明治五年五月郷社に列格し、同四十二年三月十三日字寿田の山神、同末社の津嶋社金刀比羅神社、太神宮を本社に合祀する。大正五年二月十二日字八反田の神明社と同末社宝田社、津嶋社を本社に合祀合霊した。