当社は極めて古い神社である。美濃市大矢田の里は水が伏流して土地は乾燥し、昔より水に恵まれない処であったが、たまたま此の宮地には有り難くも湧き水に恵まれていた。水の在るところ、人々は飲み水に、生活の水にと、水を求めて此処に集まって里をなし青柳の木に産土神様を鎮祭して、長く久しく御奉護し奉って来たのが当社の発祥です。
中世に於いては、神仏混合淆にて別当林光院と共に栄え、戦国時代には、この里の豪族天王山の後藤城主の信仰篤く、当時奉献された梵鐘は今も岐阜県重要文化財として大切に保存されている。
御祭神大巳貴命(大国主命)は出雲の国を中心に広く美濃之国をも含めて、遠く越の国までも治められた地神(くにつかみ)である。大矢田の里に伝わる神話の中でご活躍の天若日子命の妻の神、下照姫命の父神であって、天若日子命の美濃国平定の事業の大きなご援助と成らせれた神です。
大神はこの土地の開拓の神、農耕御守護の神として里人とり尊崇されている。また縁結びの神とも言われ、更には事代主命と共に福の神として親しく尊ばれて居り、特に当社の大神は古くから
「青柳えびすだいこく」
と親しまれ、多くの人々から信仰されている。
神の代に恵みの水の
湧きいずる
青柳の杜 福の神
現地案内板による。