しんめいぐう
愛知県岡崎市元能見町42-1
現在、岡崎市内に神明宮という名の神社は11社ありますが、岡崎市で神明宮と言えば、一般には当社を指します。古くから「神明さん」と呼ばれ、多くの人々に親しまれている神社です。 5月の第二日曜日(とその..
現在、岡崎市内に神明宮という名の神社は11社ありますが、岡崎市で神明宮と言えば、一般には当社を指します。古くから「神明さん」と呼ばれ、多くの人々に親しまれている神社です。 5月の第二日曜日(とその前日)に行われる収穫を祈念する例大祭は、菅生神社(夏病みを除災する夏祭り)、岡崎天満宮(豊作を祝う秋祭り)とともに岡崎三大祭りの1つに数えられています。 神明宮の成り立ちは、平安時代中期(西暦1000年頃)まで遡ることができます。 源頼義(988~1075)の家臣である嵩地源太夫広長が能見村を開き、祠を建立。その後、加藤新蔵、鈴木市蔵、近藤九兵衛が疫病封じのため、神明を勧請したのが始まりとされます。 天正20年(1592)には、神官の深見六蔵が田中吉政の家老、辻勘兵衛より禰宜屋敷を寄進されています。 明治5年に村社となり、明治42年には拝殿が改築。 大正13年には、境内の御鍬社、津島社、厳島社、稲荷社などを合祀し、神殿、渡り殿、神楽殿、社務所、石鳥居などが建立されています。
天照皇大神、須佐之男命、手力男命、豊受姫命、市杵島姫命、五十猛命、萬幡豊秋津姫命
能見神明宮
明神宮大祭(5月の第2日曜日とその前日に行われている’) 「御神輿渡御」「山車宮入り」などの祭礼行事は、江戸時代中期からほぼ変わらず、現在に受け継がれてきました