おんたけじんじゃさとしゃほんしゃ(くろさわぐち)
長野県木曽郡木曽町三岳栩山
宝亀5年(774年)に、信濃国の国司である石川名足 (石川朝臣)が勅を受けて御嶽山に登拝し、ここで、大己貴命と少彦名命の2柱の神々を祀り悪疫退散を祈願したことに始まるとしている。そして、宝亀6年(7..
宝亀5年(774年)に、信濃国の国司である石川名足 (石川朝臣)が勅を受けて御嶽山に登拝し、ここで、大己貴命と少彦名命の2柱の神々を祀り悪疫退散を祈願したことに始まるとしている。そして、宝亀6年(775年)に当里宮が創建されたと伝えられ、その後、天文23年(1554年)に、木曽義在、義康により再興され、当初は、は御嶽山大座王権現と称していたが、明治維新の神仏分離令によって、現在の御嶽神社となった。
大己貴命/大穴牟遅神(おおなむち) 少彦名命/少毘古那神(すくなびこな)
宝亀5年(774年)
有り