てんねんじ
大阪府大阪市天王寺区城南寺4-5
潮待山天然寺は後陽成天皇の天正16年4月8日天然上人の開基で、時恰も豊臣秀吉大坂城築城の天正11年の後に辺り。城南、堀の外の高台に寺地を給せられ、此処に堂宇を興し浄土宗法然上人念仏の道場として永く法..
潮待山天然寺は後陽成天皇の天正16年4月8日天然上人の開基で、時恰も豊臣秀吉大坂城築城の天正11年の後に辺り。城南、堀の外の高台に寺地を給せられ、此処に堂宇を興し浄土宗法然上人念仏の道場として永く法灯を伝えて来た。 天然寺境内地は潮待天満宮と関係深く豊臣氏の時代に、地子免除の特典を受けていたここは古くより天神の叢祠があり、潮待天満宮と申していた。 伝うるところ延喜元年(901)右大臣菅原道真公が筑紫の大宰府に流され給う時、 浪速津にて乗船の潮時をこの地で待ち給ひ、その間、御自作の木像を造られ、里人その跡を慕いて、小社を営み菅公御自作の像を祭ったと伝えられる。 社殿は大阪築城の時城内にありしが豊臣秀吉これを城の外に遷し祭りました。 これ即ち今の地である。天然寺はもと正覚院とも云い潮待天満宮と共に浪速の一古跡として有名で、諸誌にも載せられ摂津名所図会大成に世俗おちつき寺と云うとあり、右大臣菅原道真公が潮待ちの為におちつかれたのでおちつき天神と云う。 又この辺を塩汐町と号するは即ち潮待の由縁なり。天然寺おちつき天神共に昭和20年6月1日の大阪空襲により一屋余すところなく廃燼となりしが今茲に神仏の加護並に十方檀那の恵福により再建成就した。菅丞相が西辺に黜居せられし蹟に鑑み至心と合掌とを餝えおし以って、これを萬劫の時に貽さんとする。
潮待山
生覚院
浄土宗
1588年(天正16年)
阿弥陀如来
天然上人
潮待山・天然寺
・おちつき天神 ・おちつき地蔵
◇大阪メトロ・谷町線「谷町六丁目駅」〜徒歩13分程度 ◇近畿日本鉄道・奈良線「上本町駅」〜徒歩15分程度
無料
10〜15分
あり
なし