えいふくじ
千葉県八街市小谷流154
八街市小谷流にある顕本法華宗の寺院。 貞和3年 (1347年) 吉倉の山本倉右衛門家第7代山本義俊と、その兄で小谷流村に分家した山本伊勢守常源によって、住蒼郷の鎮護として創建された。 当初は住蒼..
八街市小谷流にある顕本法華宗の寺院。 貞和3年 (1347年) 吉倉の山本倉右衛門家第7代山本義俊と、その兄で小谷流村に分家した山本伊勢守常源によって、住蒼郷の鎮護として創建された。 当初は住蒼山長寿寺(すみよしざん ちょうじゅじ)といい、真言宗の寺院だった。 長享2年(1488年) 土気城主酒井定隆の宗教政策「上総七里法華」の影響で法華宗日什門流(のちの顕本法華宗)に改宗。法流山永福寺と名を改めた。 天保5年(1834年) 本堂を火事で焼失したがその後まもなく再建され復旧。現存する八街市の寺院としては最古の歴史を持つ。 現在は無住寺となり、代務住職は正栄山大経寺(成田市大袋)。
八街市小谷流にある顕本法華宗の寺院。 当初は住蒼山長壽寺といい、真言宗の寺院だった。 土気城主酒井定隆の改宗令「上総七里法華」で法華宗日什門流に改宗。 法流山永福寺と改称した。 現在は無住寺となり、正栄山大経寺住職が代務。
法流山 (ほうるさん)
顕本法華宗
妙満寺末寺
貞和3年 (1347年)
山本義俊(山本倉右衛門家第7代)、山本伊勢守常源(義俊の兄)
長享2年(1488年)
法流山永福寺 (ほうるさん えいふくじ)
有り