社伝に、藤原鎌足38代の孫備後国萩原の里住人萩原道前の子孫備後守左衛門尉芳信、筑後国春日山の城主であったが文明年中(二1469~86)丹野村に落ちきて、御堂山頂に城を築き四方を拡征服したが、文明2年(1470)7月6日従者に謀殺される。嫡子四郎今泉家に養われ、大永2年(1522)四郎の子今泉助右ヱ門御津庄赤根郷に一社を建て芳信公を祀り、萩原大明神と称し、相殿に素戔鳴命を祀る。「郡史」に古く存在した名社であったのをその由緒を忘れ、この社を尊崇した萩原氏を祭神と誤ったのではないかという。大永2年の棟札に赤根郷大明神とあり、大明神領と称した地領があった。明治6年1月、村社に列し、大正4年11月1日、字屋敷の天満宮を合祀す。大正8年3月7日、供進指定社となる。