せいあんじ
愛知県豊田市林添町寺脇14
もと三松庵と称した。江戸幕府編纂の『寛政重修諸家譜』には、『信広(松平太郎左衛門家初代)、親長(同五代)、由重(同六代)は林添村の三松庵に葬る云々』とある。 太郎左衛門家八代信和の寄進によって、元..
もと三松庵と称した。江戸幕府編纂の『寛政重修諸家譜』には、『信広(松平太郎左衛門家初代)、親長(同五代)、由重(同六代)は林添村の三松庵に葬る云々』とある。 太郎左衛門家八代信和の寄進によって、元禄八年(一六九五)堂宇をととのえ、晴暗寺と号するに至った。前記三者の方篋印塔は、本堂の裏山に遺存する。 境内の無縁仏中央の一きわ大きい墓石は、松平氏始祖親氏に討伐された林添の豪族薮田源吾の供養碑と伝わっている。
寺院内の掲示板より
三松山
曹洞宗