きそじんじゃ
岐阜県大垣市上石津町牧田1070
当社創立は平治年中に信州の城主朝日将軍木曽義仲公の守り本尊にして則ち神實は歓喜天の尊像なり。右公此地に祈願所として真言宗の一宇を建立し、義仲寺と号し、鎮守として崇敬し給ふ。其の後人皇百三代後花園院の..
当社創立は平治年中に信州の城主朝日将軍木曽義仲公の守り本尊にして則ち神實は歓喜天の尊像なり。右公此地に祈願所として真言宗の一宇を建立し、義仲寺と号し、鎮守として崇敬し給ふ。其の後人皇百三代後花園院の御宇正長年中に悦厳禪師と申す僧義仲寺を宝聚院と改称し、禅宗に改宗す。代々同寺の鎮守なり。同寺境内に義仲公息女糸姫君の手植の櫻今に現存せり。然るに御維新の神仏混淆分離の御趣意に基づき字門前に移転す。尚明治十二年一月受持祠官氏子協議の上神實を神鏡に改正す。人皇四十五代聖武天皇の御宇神亀年中に信州の城主朝日将軍木曽義仲公此地に一宇を建立あり、依て往昔は当山義仲寺と号し、別にご自身の御所より木曽大明神を迎へしめ尚観せおん菩薩の尊像を安置せられて御信仰の御観世おんなれば、御家門もろともに当山に折り折り御来詣まします。義仲公御息女に糸姫君と申しまれなる大信心ある御子ありしが、ふと病の床にふし給ふ。有時大悲の夢の御告げに今度の病気ぐらつく筈をと受理○有り有りとお告げに及ぶに程なく夢もさめて忽然として何はしま御に忽ち○まひ○平癒御ますに難有父とも母とも○○し高き御厚思の観世おんなれば早速御礼を遂○しとおぼしめしてはるばると富山に御来詣有その節櫻木を運ばせ此地に御名を残さんと糸櫻を御植遊し給ふなり。その後此の櫻木のもとに小観世音菩薩と木曽大明神の御尊像を誕座し給へば、人々尊敬供養お供し○○櫻木の側に小堂を建て、観音菩薩と木曽大明神の二尊を安置して祀れり。その後百三代後花園院の御宇正長年中に悦岩禪師と申す僧此地に宝聚院と申す一宇を建立なり、観世音ともろともに○ん座し給ふ。後木曽大明神を当寺より一丁ばかりとある社中に納め給ふ。 (岐阜県神社庁資料による)
木曽義仲(きそよしなか)
10月4日