いつきのみや
福岡県糟屋郡久山町大字山田232
神功皇后は、『古事記』『日本書紀』に登場し、日本史上はじめて朝鮮半島へ出兵したと伝えられる人物です。『日本書紀』巻第九、神功皇后(気長足姫尊)の章には、夫である仲哀天皇がお亡くなりになられた香椎宮、..
神功皇后は、『古事記』『日本書紀』に登場し、日本史上はじめて朝鮮半島へ出兵したと伝えられる人物です。『日本書紀』巻第九、神功皇后(気長足姫尊)の章には、夫である仲哀天皇がお亡くなりになられた香椎宮、応神天皇をお産みになられた宇美八幡宮などとともに斎宮の事が記されています。 『日本書紀』によると神功皇后は仲哀天皇が香椎でお亡くなりになると、小山田邑に斎宮を作らせ、天皇の亡骸を運んで安置し、自ら神主となられています。この斎宮の故地について、江戸時代の学者、貝原益軒が『筑前国続風土記』のなかで次のように述べています。 「聖母屋敷、上山田村にあり。其の所に、神功皇后の御社あり。是、神功皇后斎宮の址なるにや。」「此山田村は、香椎に近ければ、此村にある聖母屋敷こそ、まさしき斎宮の址には侍るべき。」 ここ山田の地に鎮座する斎宮は、日本最古の国史に記載された「小山田邑、斎宮」の比定地とされる神社です。千数百年の間、人々に深く信仰され、大切に守られてきました。 町内には六所宮跡や審神者神社など神功皇后にゆかりの深い神社や、神功皇后を描いた絵馬などが多く残っています。 久山町教育委員会
天照大御神 武甕槌命 事代主神命 住吉三神 神功皇后 合祀 六所神
イコバス(久山町コミュニティバス) 山田小学校前 すぐ
無料
10分
無し