天王様は暴れ神輿 急な石段の上に、切り立った山を背にして鎮座する当社は『新編武蔵風土記稿』に「宿内の鎮守なり、社地山足(さんそく)によりて磐岩(いわむら)を左右後ろの三方共に鑽鑿(さんさく)して宮造りせり」と記されている。 社伝によると、天文5年(1536)正月に安戸城主の上田左衛門大夫安吉が、菅原道真公を勧請したと云う。『新編武蔵風土記稿』は寛文9年(1669)10月の棟札があると記し、氏子は延宝8年(1680)9月の棟札があったと伝えるが、現在は何れも存在しない。明治7年(1874)に村社となり、大正13年(1924)7月31日に字南の稲荷社、字向山の稲荷社を境内に合祀した。現在の境内社の稲荷社がこれであり、デイゾウボウ稲荷と通称されており、その昔、デイゾウボウという僧が斬られ、この僧を葬った傍らに稲荷社を建立したことに始まると伝える。稲荷社の旧地は安戸橋の近くにあり、合祀後は畑にして氏子に貸与し、初午祭に供える天狗団子の材料の米はその氏子が出していたが、農地解放により民有地となった。その後、平成18年(2006)に愛宕神社と山神社が境内に合祀された。 末社の八坂神社例祭は7月20日に近い日曜日に斎行され、宵宮には神輿渡御が盛大に執り行われるが、往時の「暴れ神輿」は祭礼時御仮屋に安置される。 社頭の杉の大木は、「天神様の大杉」と云われ、周囲6㍍程で樹齢700年余と推測され、昭和40年村の天然記念物に指定された。