だいしょうじ
福岡県うきは市浮羽町流川478
往昔当時は奈良時代行基菩薩によって民衆救済の道場として創建された。 桓武帝延暦元年には五臺山大聖寺と称し。勅願寺となった。 月谷和尚の時に、天台宗に改宗して、以来鎮護国家、致福銷災の寺として、 密教..
往昔当時は奈良時代行基菩薩によって民衆救済の道場として創建された。 桓武帝延暦元年には五臺山大聖寺と称し。勅願寺となった。 月谷和尚の時に、天台宗に改宗して、以来鎮護国家、致福銷災の寺として、 密教の秘法を以て衆生を済度した。 時代の推移と共に、旧仏教は堕落し、 他方新仏教の競い興るなかで、やがて当寺も衰微していった。 明徳2年曹洞宗の無着妙融禅師によって再興、 五葉山大生寺と改めた。 寺号は当地浮羽うきは郡の旧名生葉の二字を採って命名された。 以来曹洞禅の宗風大いに振い九州三大禅屈の一つとして寺名高く、 ニ筑一肥(筑後、筑前、肥前)に末寺275ヶ寺をかぞえる本山となり、山内に塔頭7ヶ寺を擁したと伝えている。 天正年間大友氏による寺院焼却、寺領没収にあい、 戦国動乱のすすむなかで、寺運は漸次に衰微した。 後、 慶安元年有馬忠頼公は、 梅林寺二世澤雲和尚に当寺の復興を命じた。 よって、澤雲和尚は高弟月洲和尚を派遣入寺せしめて再興をはかった。 公は寺禄30石、山林70町歩を寄進して護持をはかった。 以来勧請開山は澤雲和尚、創建開山は月洲和尚となって、法燈連綿18世をかぞえ、 臨済の栄西、白隠の禅風を挙揚して現在に至っている。 明治維新並に昭和敗戦に際しては、先には寺禄山林の奉還、廃仏棄釈に、 後には農地開放と、それぞれ変革の危急に直面し、寺院の護持に多難であったが、 前者には、歴代の和尚あって。諸善知識の徳化と護持の努力によってともに復興の実を挙げ、 檀信徒の帰依も亦日を逐って加わり、名声漸く高きに至っている。
五葉山
臨済宗
妙心寺派
有り