がんぎょうじ
奈良県吉野郡下市町下市
本願寺3世覚如の長子存覚の廟のあった古御坊を明応4年(1495年)に8世蓮如が現在地に移建し吉野地方の布教拠点としたものである。 存覚は南北朝時代の康永2年(1343年)から貞和5年(1349年)..
本願寺3世覚如の長子存覚の廟のあった古御坊を明応4年(1495年)に8世蓮如が現在地に移建し吉野地方の布教拠点としたものである。 存覚は南北朝時代の康永2年(1343年)から貞和5年(1349年)の間しばしば大和国に赴いており、この頃当地へ下向したと考えられている。 天正6年(1578年)10月11日、吉野門徒の拠点であった為、織田方の筒井順慶によって飯貝の本善寺とともに焼討ちにあっている。 また本願寺の東西分派に際しては西本願寺方に従った。 戦国時代より江戸時代を通じて一家衆として大和国では本善寺とともに特別な地位にあり、往時は大和・近江・摂津の本願寺派など70余ヵ寺を末寺に寺内にも3ヵ寺を置いて寺役に当たらせるなど中本山として寺運盛大であったという。
至心山
浄土真宗
本願寺派
中本山
明応4年(1495年)
阿弥陀如来立像
存覚上人
蓮如上人
下市御坊
庭園(奈良県指定名勝) 本堂・梵鐘・阿弥陀如来画像(下市町指定文化財)
有り