ふくはらはちまんぐう
栃木県大田原市福原1125
源頼義(みなもとのよりよし)・義家(よしいえ)父子が戦勝祈願のため八幡社を勧請したとも伝えられ、後に那須氏の祖である須藤(すどう)貞信(さだのぶ)が氏神として社殿を造営したといわれます。社殿の屋根に..
源頼義(みなもとのよりよし)・義家(よしいえ)父子が戦勝祈願のため八幡社を勧請したとも伝えられ、後に那須氏の祖である須藤(すどう)貞信(さだのぶ)が氏神として社殿を造営したといわれます。社殿の屋根には那須家の家紋である「一菊ノ紋(いちぎくのもん)」がつけられています。明治初期の神仏分離前までは福原にある金剛寿院の神仏混淆社(しんぶつこんこうしゃ)でした。