やちほこじんじゃ
滋賀県蒲生郡日野町三十坪813
創祀年代不詳。蒲生郡志に「明治以前は八八一作鉢森大明神と称す。社伝に式内大屋神社は当社なりという。卅坪、増田産土神なり、蒲生氏日野在城の時当社を崇敬あり、社殿造営の資を寄附し或は申楽を奉納せり、現存..
創祀年代不詳。蒲生郡志に「明治以前は八八一作鉢森大明神と称す。社伝に式内大屋神社は当社なりという。卅坪、増田産土神なり、蒲生氏日野在城の時当社を崇敬あり、社殿造営の資を寄附し或は申楽を奉納せり、現存する二個の面と太刀太鼓等は当時の遺物なりと伝う、徳川氏の代此地は渡辺氏の堤封となる、内記永倫の時、特に当社を尊崇し元禄15年千五百二十歩の神領を寄附し祠前に石碑を建て太刀神馬等を献じたり、安政6年11月渡辺氏の臣森村勝次郎綏石鳥居を寄附する等ありて神境大に備はれり、天明8年社殿を再建す、是れ現在の建物なり、明治維新、八千鉾神社と改称し、同9年村社に列す、社に金口一口と神楽用叩鐘一個あり」と記している。
大屋彦神、八千鉾神
式内社(小)大屋神社論社
15分
有り