えどじょう
東京都千代田区千代田
江戸城は平安時代末期、江戸氏が居館を構えていたと見られ、そこに長禄元年(1457)、扇谷上杉氏の執事太田道潅によって築城された平山城です。その後、道潅を暗殺した主君上杉定正は養子の朝良を城代としまし..
江戸城は平安時代末期、江戸氏が居館を構えていたと見られ、そこに長禄元年(1457)、扇谷上杉氏の執事太田道潅によって築城された平山城です。その後、道潅を暗殺した主君上杉定正は養子の朝良を城代としました。 大永4年(1524)上杉氏を駆逐した北条氏綱は道潅の孫太田資高らに守らせたが、小田原合戦の後、徳川氏の本拠となって修築されました。 江戸城の天守は三度建て替えられており、慶長12年(1607)に家康が建てた初代天守閣は五層六階、高さ51mもあり、大坂城をはるかに超える巨大なものでした。その後、秀忠、家光によってそれぞれ自身の天守に建て直しをしていますが、明暦3年(1657)の大火で焼失の後は再建されませんでした。家康没後も三代にわたり天下普請によって築城工事は続けられ、外側に総構えをもった日本最大の城となりました。 江戸城は、将軍十五代にわたり幕府政治の中枢として栄えましたが、明治維新を迎えて皇居に定められ、名を東京城とあらためました。 現在は、櫓・城門など数棟の建物と内郭部の掘割・石垣などしか残っていません。本丸・二の丸・三の丸部分は、皇居東御苑として開放されているため、自由に見学することができます。 日本100名城 21と国の特別史跡に指定されています。
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