おおさかのしながのみささぎ
大阪府南河内郡太子町大字山田
孝徳天皇:幼少期は軽皇子と名乗り、天智・天武天皇の叔父である天皇は先帝の皇極(斉明)天皇の弟にあたる。 645年に中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を暗殺した「乙巳の変」が起こり、皇極天皇はショックを..
孝徳天皇:幼少期は軽皇子と名乗り、天智・天武天皇の叔父である天皇は先帝の皇極(斉明)天皇の弟にあたる。 645年に中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を暗殺した「乙巳の変」が起こり、皇極天皇はショックを受けて中大兄皇子に譲位しようとしたが拒否をされる。 中大兄皇子は代わりとして軽皇子を推薦し、645年の乙巳の変の2日後に49歳で即位する。 初めての元号「大化」を制定し、新たな政治を行ったことから、天皇の治政は「大化の改新」と呼ばれるようになる。 皇太子を中大兄皇子とし、阿倍内麻呂を左大臣、蘇我倉山田石川麻呂を右大臣にした。 天皇の在位中には、高句麗・百済・新羅からしばしば使者が訪れ、遣唐使を唐に派遣するなど、大陸との関係も継続する政策をとった。 天皇は難波長柄豊碕宮(大阪市中央区)を造営して都としたため、「難波朝」と呼ばれたりする。 『日本書紀』の評によれば、天皇は仏法を尊んで神道を軽んじたり、有馬温泉で静養したりしている。 大化6年(650年)に穴戸国司の草壁醜経から白い雉を献じられたことを喜び、同年に元号を「白雉」と改元し、戸籍の作成なども行った。 白雉5年(654年)10月1日に天皇は病の床につき、10日に58歳で崩御されたため、先帝だった女帝皇極天皇が重祚して斉明天皇となり、都は飛鳥へと戻った。
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