はったてんまんたかふねじんじゃ
福岡県福岡市東区青葉1-33-27
貴船神則ち高龗大神は龍神にして罔象女神と御共に雨水を掌り給い古來より五穀神と共に農耕民の尊崇特に篤い神にまします 抑も貴船神を此の地に勧請祭祀の起源については余りにも古く古代の社記等紛失の為不明で..
貴船神則ち高龗大神は龍神にして罔象女神と御共に雨水を掌り給い古來より五穀神と共に農耕民の尊崇特に篤い神にまします 抑も貴船神を此の地に勧請祭祀の起源については余りにも古く古代の社記等紛失の為不明であるも古き里人が諸神祭祀に先立ち此の地を鎮め五穀豊穣を衷心より祈誓し祭りきたりし神霊と拜される 八神 そのかみ神武天皇肇国の砌り祭り給いし八柱の神祇にあらせられる 神功皇后 皇后は仲哀天皇崩御の後御祈願の趣きあらせられて此所に尊神の高皇産霊を始め八神の天神地祇を奉斎し給う 皇后は八神を斎き祭るにあたりて八つの御供田を奉り給う 此の故に八田の地名が起きたと傳えらえる 此の八神の天神は鎮護国家天下万民至福至善の御神にましまして住民いと高き産霊と敬い拜し折節の祭り事は今に至るも絶える事無く厳粛にとり行われている 菅原神 平安初期醍醐天皇の御宇に菅原道眞公藤原時平の讒言にあい筑紫大宰府に左遷となりし時香椎潟より上らせられ香椎宮に参詣し給う 後に此の社に詣でられ自らの罪無き由を神祇に深く誓わせられ小松を手折りて我が願事達しなば此の松必ず栄ゆべしと祈り御社前に挿させ給う 松は根入り栄えて道眞公薨去の後里人は此の松を菅公の御神木 枝挿しの松 と慈しみきたるも昭和初期の頃惜しくも枯れて謂れのみ語り継がれている 尚御社殿にありては 中の間は八神 左の間は神功皇后 右の間は天滿天神 三座にして十神御鎮座まします