しょうぶじんじゃ
徳島県美馬市美馬町正部25
正部神社の創立については御深草天皇の代、宝治元(1247)年、相模国鎌倉の城主四位少将清平公の奥方であった清姫が逆臣の謀反にあい、家臣藤島主水・千葉彦太郎・侍女玉振・杉尾を引き連れて郡里へ逃れてきた..
正部神社の創立については御深草天皇の代、宝治元(1247)年、相模国鎌倉の城主四位少将清平公の奥方であった清姫が逆臣の謀反にあい、家臣藤島主水・千葉彦太郎・侍女玉振・杉尾を引き連れて郡里へ逃れてきた。そして、郡里に在住中死亡したため、家臣藤島主水は郡里山井手口に埋葬した。 ところが、この墓の前を馬に乗って通行する人は必ず落馬するので、人々は恐れかしこみ、御神体を清浄の地に祀ろうとして、切久保の額の坂を越え入倉に至り、神場の地に奉斎した。時に正応四(1291)年九月であったと伝えられている。 その後、正部に移るが井出口に祀られていたときは、社名を若山妙見大明神といったが、正部に移ってからは、妙見大明神と言い、更に慶応四(1872)年十月に正部神社と改称された。
「妙見山 正部神社」は太古、妙見信仰の聖地でありました。妙見すなわち神道での御名を「天之御中主神」アメノミナカヌシノカミと申しあげます。 そして、この壮大な神様と共に祀られている清姫様は、狙ったものを百発百中落馬させたと伝えられ...
清姫霊神、伊邪那岐命、天照大神、大国主命
旧村社
正応四(1291)年
美馬まほろばの里開運四社巡り(西照神社、岩倉八幡神社、玉振神社、正部神社のスタンプを集めると西照神社で特別な御朱印あり。)
無料
無し。(但し、境内に駐車可)
無し。