つきなみじんじゃ
群馬県高崎市箕郷町善地1641
八世紀末に当神社の近くに住んでいた車持の子孫「風の三郎」が、国司の交代の時の勘解由使(かげゆし)に任じられ、当社の前身である車持神社を建てました。 三郎は、坂上田村麻呂の蝦夷討伐の時上野勢の総師と..
八世紀末に当神社の近くに住んでいた車持の子孫「風の三郎」が、国司の交代の時の勘解由使(かげゆし)に任じられ、当社の前身である車持神社を建てました。 三郎は、坂上田村麻呂の蝦夷討伐の時上野勢の総師として功をあげ、恩賞として「善地」の姓を受けました。 三郎の徳を慕って、村民はこの地を「善地」と呼ぶようになったと言われています。
大山津見神
正保4年(1647)
流れ造り
前橋インターより車で、約30分
無