おかのじんじゃ
神奈川県横浜市西区岡野2-4-15
弘化四年 (一八四七年) 未年正月、三河国碧海郡川島村 太田佐兵衛なる人、武蔵国久良岐郡横浜浦にて新田開発を計画、讃岐国象頭山金刀比羅大権現へ祈願し、艱難辛苦の末、遂に開発に成功したので神助に感謝..
弘化四年 (一八四七年) 未年正月、三河国碧海郡川島村 太田佐兵衛なる人、武蔵国久良岐郡横浜浦にて新田開発を計画、讃岐国象頭山金刀比羅大権現へ祈願し、艱難辛苦の末、遂に開発に成功したので神助に感謝し、象頭山へ登山、その御神体を受けて新田総鎮守として崇敬し、日夜奉仕した。 かくて年々三月、十月各十日を以て祭日と定めた。 安政六年 (一八五九年) 未年中、当地御開港中の御地所拝借人 総代太田屋、新田農夫総代等申し合せ、同年十月十日大祭を執行し、更に、太田新田の太田一丁目より同八丁目迄入舟町と改まり、以上九ヶ町の総鎮守と崇め奉った。 慶応二年 (一八六六年) 寅年十月二十日、末広町より出火、大火の為御用地となり、その替地として、現在の尾上町二丁目に至る場所、即ち旧緑町に移転した。 明治六年 (一八七三年) 酉年中、相生町三丁目より出火、その折当社も類焼にかかったので伊勢山へ鎮座したが、偶々大正十二年 (一九二三年) 九月一日の関東大震災に遭遇し、神殿悉く焼失した為、昭和三年 (一九二八年) 二月、中区新山下町三丁目五二番地の場所に移転の止むなきに至ったのである。 元来、岡野の里は、往時入海で、旧記によれば天保 (一八三〇~一八四三年) の初め頃より陸地少しく現れていた。時に保土ヶ谷駅帷子の里に住していた岡野勘四郎氏が埋め立てを始め、次々に新田として開拓したもので、明治三十四年四月横浜市に編入せられ現在の様な地形となったが、住する者は未だ少なかったのである。然し土地発展の為、追々来たり住む者が増えて来た事は喜ばしい事であった。
大物主神、稲荷大神
8月6日 例祭
相鉄本線 平沼橋駅から徒歩8分 相鉄本線 平沼橋駅から徒歩13分
無料
10分未満(5分程度)
有り
無し