わしづじんじゃ
静岡県沼津市大平1824
鷲頭神社由来記 この社 鷲頭神社の御祭神は高龗神(タカオカミノカミ) 配祀三神は、 天穂日命 アメノホヒノミコト (天神社) 誉田別命 ホンダワケノミコト (八幡社) 日本武尊 ヤマト..
鷲頭神社由来記 この社 鷲頭神社の御祭神は高龗神(タカオカミノカミ) 配祀三神は、 天穂日命 アメノホヒノミコト (天神社) 誉田別命 ホンダワケノミコト (八幡社) 日本武尊 ヤマトタケルノミコト(御嶽社)
由来 御祭神 高龗神は 竜身の水神であると伝えられる 古の時代から大平住民は稲作に生活の糧を求め 鷲頭山、大平山 の湧き水に頼りながら 狩野川の氾濫に悩まされてきた そこで 旱魃と水難を治め 五穀の豊穣を願い 霊験あらたかな 高龗神を 伊予国(金刀比羅神社)から勧請 清浄な地として鷲頭 山頂に祀った 旱魃と水難の防除の神徳尊く 遠く 清水港のあたりにも 豊漁 海上安全守護の信仰厚く 参拝や鷲頭神社の神札を拝受に訪ね来る 者がある
鷲頭山西 獅子浜側に百間下りという「茅場」があり 山焼き等 による社殿への延焼が度重なり 現在地に遷座され 今に至る
変遷 一四六九(文明 元年)伊予国より御祭神 高龗神を 神主 磯部伊代守と 共に勧請 戸ケ谷 堂返し横に奉安したと伝えられている 一四八一(文明一三年)鷲頭山頂を造成し遷宮 一五八一(天正 九年)北条氏康の命により 社殿改築 神主家敷を普請山火事に備え番人を配置 一七七九(安永 八年)獅子浜から出火で 社殿焼失 翌年修復 一八六〇(万延 元年)大平八神社 外八百万の神を合祀 一八七四(明治 七年)天満(現在地)山頂を造成し遷座 この際以前から この地に祀られていた天神社 及び村中全ての神社 を合祀 翌年関係者官庁に出願し承認を受ける 一八七五(明治 八年)村社となり 各地域に世話係り配置小祭を二月十一日 五月五日大祭を十月十五日 と定めた 一九二三(大正一二年)関東大震災 拝殿屋根瓦落下 修復 一九三〇(昭和 五年)伊豆震災 拝殿屋根大修理 本殿石積補修 一九四九(昭和二四年)宗教法人登録 一九五五(昭和三〇年)駿東郡大平村 沼津市に合併 大平財産区を設立し 境外地を財産区名義とする 一九五七(昭和三二年)鷲頭山山頂 奥宮神地周辺に桜苗 百本植樹 一九六八(昭和四三年)本殿屋根葺替え修理 一九九四(平成 六年)本殿屋根及び廻廊改修 拝殿一部増改築屋根~拝殿間 屋根増築
高龗神(タカオカミノカミ)
式内社 伊豆国田方郡 大朝神社(論社) 旧村社