れんげじ
滋賀県彦根市中央町3-64
井伊直政の祈願により、上野国箕輪に創建された。後には転封に伴い高崎に移転された。 江戸時代に入ると、直政の家督を継いだ直継が彦根城および城下町の建設をはじめた。当時の住職・朝学院日義は当地に来、..
井伊直政の祈願により、上野国箕輪に創建された。後には転封に伴い高崎に移転された。 江戸時代に入ると、直政の家督を継いだ直継が彦根城および城下町の建設をはじめた。当時の住職・朝学院日義は当地に来、西郷伊豫守・孕石備前守・石原主膳といった家臣らの外護を得て慶長8年(1603年)に現在地へ移した。 延宝9年8月には身延山より藩内一宗の惣願寺として色衣を許される。 享保の記録には東西三十九間および南北五十五間と記述があったが、寛保元年(1741年)に火災で類焼し、堂宇を悉く失った。14世・慈常院日明が直ちに再興に取りかかり、藩の支援も受けて明和3年3月に本堂(東西八間南北十一間の現本堂)の再建をみた。 かつては徳楽庵・理応院・慈雲院の三塔頭を有していた中本寺で、彦恨檀林が併設された。檀林の卒業僧は鷹峰檀林(常照寺)へと進んだ。
妙法山
日蓮宗
不詳
三宝尊
井伊直政
1603年(慶長8年)
朝学院日義
妙法山蓮華寺
無料
有り(境内)