けんこうあん
大阪府大阪市中央区中寺2-4-6
もともと玉泉寺と呼ばれ、寛文元(1661)年、鴻池家が一族の墓の菩提寺として顕孝庵と改めて復興した。境内のほとんどが一族の墓で占められ、五輪等は70数基もある。 鴻池家は尼子氏の家臣山中鹿之介幸盛..
もともと玉泉寺と呼ばれ、寛文元(1661)年、鴻池家が一族の墓の菩提寺として顕孝庵と改めて復興した。境内のほとんどが一族の墓で占められ、五輪等は70数基もある。 鴻池家は尼子氏の家臣山中鹿之介幸盛を遠祖とし、その次男幸元(通称新右衛門、新六)を始祖としている。 1578年(天正6年)幸元は遠縁を頼って摂津・川辺郡鴻池村(現・伊丹市)に住みつき、清酒の製法を偶然に発見した。また、清酒の江戸送りの成功により、海運業にも乗り出し、鴻池家繁栄の基礎を築いたといわれる。 後の鴻池財閥につながる大阪・今橋の鴻池家は、幸元の八男、善右衛門(山中正成)が初代当主で、三代目の 善右衛門(山中宗利)のときに飛躍をとげ、現在の東大阪市鴻池新田の開発・経営も手がけている。 この頃から 鴻池は初期の酒造・海運業・商品取引から大名貨を中心とする両替業を専業とするようになり、ますます身代を大きくし、大坂随一の両替商となった。
曹洞宗
大阪メトロ地下鉄谷町線・千日前線「谷町九丁目」駅 徒歩約6分