けいりんいん
長野県松本市大字寿豊丘615
元応年中(鎌倉時代後期1319~20年)より 上記は天明年間に破損した半鐘の銘を仁芳祖岳和尚が書き写した記録の一節です。これによれば当寺は今より700年以上の昔よりこの地に在り、その当時に白河郷地..
元応年中(鎌倉時代後期1319~20年)より 上記は天明年間に破損した半鐘の銘を仁芳祖岳和尚が書き写した記録の一節です。これによれば当寺は今より700年以上の昔よりこの地に在り、その当時に白河郷地頭であった藤原惟家の孫、白河十郎有忠が「長福寺殿鐵山勇然大禅定門」より代々一族の香華寺(菩提寺)として「松泉山長福寺」という号で現在地より西南におよそ三丁(300メートル)の中村、寺澤付近に建立され宗派は臨済宗建長寺派に属していました。
松泉山
瓊林院
臨済宗
妙心寺派
元応年中(鎌倉時代後期1319~20年)
聖観世音菩薩
中部四十九薬師霊場 第六番札所
有り
有るが使用不可