くらはしのおかのえのみささぎ
奈良県桜井市大字倉橋
崇峻天皇:欽明天皇の第12皇子。敏達天皇、用明天皇、推古天皇の異母弟にあたる。 蘇我氏が台頭しだした時代であり、天皇の母も蘇我氏出身である。 天皇は蘇我馬子によって推薦され即位する。一方、物部守..
崇峻天皇:欽明天皇の第12皇子。敏達天皇、用明天皇、推古天皇の異母弟にあたる。 蘇我氏が台頭しだした時代であり、天皇の母も蘇我氏出身である。 天皇は蘇我馬子によって推薦され即位する。一方、物部守屋は、同母兄の穴穂部皇子を即位させようと図るが、穴穂部皇子は蘇我馬子によって殺害されてしまう。その後、蘇我馬子は、物部守屋を滅ぼし、これ以降物部氏は没落していくことになる。 物部氏の没落によって欽明天皇以来の崇仏廃仏論争に決着が付き、法興寺(飛鳥寺)の造寺事業が行われた。 即位した後も政治の実権は常に馬子が握っており、天皇は次第に不満を感じるようになる。 蘇我馬子は、「天皇は自分を嫌っている」と警戒し、東国の調を進めると偽って天皇を儀式に臨席させ、その席で東漢駒に暗殺をさせた。天皇39歳の時である。臣下により天皇が殺害されたのは、確定している例では唯一である。 また、死亡した当日に葬ったことと、陵地・陵戸がないことは、他に例が無い。 この地に皇居である倉梯柴垣宮があったとされ、更に崇峻天皇の位牌を祀る金福寺があったことから、陵地として決定したという。 ただし、根拠には乏しいといい、近年では、桜井市倉橋にある巨大方墳、赤坂天王山古墳を崇峻天皇陵とする見解が有力視されるようになっている。
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