かねさきじんじゃ
宮崎県宮崎市大字金崎2995
金崎神社伝記によると、本社は大崎上峯に桓武天皇(第五十代)(781~805)の御世、金崎宗廟の大神として延暦三年(784)に創立御鎮座。 建久元年(1190)工藤祐経が日向の守護となって武運長久..
金崎神社伝記によると、本社は大崎上峯に桓武天皇(第五十代)(781~805)の御世、金崎宗廟の大神として延暦三年(784)に創立御鎮座。 建久元年(1190)工藤祐経が日向の守護となって武運長久、国家安全祈願のために社領高(祭祀料)七石を奉納した。 天正十五年(1587)秋月筑前守種長(高鍋藩)の領地となった時も社領高はそのまま奉納された。 慶長九年(1604)同山腰根(現在地)に遷座した。 元禄二年(1689)秋月式部種封(秋月藩分知木脇三千石)の領地になっても社領高はそのまま奉納された。 金崎神社は藩政時代までは、金之御児又は金御子を冠して金御子六社大権現と言ったが、明治四年(1871)になってから金崎神社と呼ぶようになった。 金崎地区には古来から大崎山に関する口伝が語りつがれていた。 それは、神日本磐余彦尊(神武天皇)が狭野の宮より宮崎の宮に遷らせ給う途次、この大崎山上に立って東方の橘の小戸の阿波岐原をお望みになったという伝承によって、昭和十五年(1940)紀元二千六百年記念事業として、宮崎県祝会は、金崎神社大崎山を日向神代の神武天皇巡幸の伝説地として顕彰したのを記念して神社境内拡張と併せ記念碑を大崎山上に建てたものである。 金御子六社大権現の呼び名は、神武天皇の父君が日子波瀲武ウガヤ草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)で、母君が蔚玉依姫命であるとされる。 神武天皇三代の皇祖が祀られている神社であるので、そのように金崎神社を呼んでいたものであろう。
神武天皇狭野より宮崎の宮に御遷御の時、この丘上にお休みになられ、橘の小戸の阿波岐原お望みになられた地として、紀元二千六百年記念祭時に顕彰されている。 金﨑神社は桓武天皇の御代、金崎郷の総廟として鎮座されたものと伝える。昔時は金之御子...
彦火火瓊々杵尊
村社
延暦三年(784)
神武さま御東遷ゆかりの神社
11月13日
JR宮崎駅より車で約30分