じょうしょうじ
奈良県高市郡高取町大字清水谷1793
和銅年中(708~715)に寺ヶ谷にあり、行基の開山と伝わる。 そこからしばらくは不明であるが、この地に冷水寺という真言宗の寺院があり、その塔頭で正蓮院と名乗っていた。 宝治2年(1248年)日..
和銅年中(708~715)に寺ヶ谷にあり、行基の開山と伝わる。 そこからしばらくは不明であるが、この地に冷水寺という真言宗の寺院があり、その塔頭で正蓮院と名乗っていた。 宝治2年(1248年)日蓮大士、他日蓮宗の上人の参詣せられた縁故により、元禄2年(1689年)に日蓮宗に改宗される。 これは日蓮大士が様々な仏教を探求する中で、南都六宗の次に高野山へ向かう道中に宿泊されたのが当時の正蓮院だったという。 その言い伝えから、江戸時代初期の元禄2年(1689年)に本満寺の日乾が日蓮宗に改宗し現寺号に改めた。 正蓮院時代の本尊阿弥陀如来座像は一時、別の場所で雨ざらしとなっていたが、信仰者の嘆願もあり、本堂建立(平成10年)を期に移動。前本堂解体時に発見された元々の蓮座の上に座られて堂内に安置され、清水谷区民により下護されている。 常照寺に鐘楼がないのは、江戸時代の住職が酒代を捻出する為に質に入れた事が要因であるが、清水谷区の人々が買い戻したという。しかし再び質入れされるのを恐れ、鐘楼は隣の西室院(元冷水寺塔頭)に預けて時を告げる事となり、現在でも「南無妙法蓮華経」と記された鐘楼が真言宗の寺院に存在する。 奈良県内の日蓮宗の寺院の中でも、その所有している土地の面積は第2位と言われており、山内には高取城主植村家の側室の墓があり、江戸時代より高取城家老職内藤家・脇坂家などの菩提寺で高取藩より二人扶持という禄を賜り繁栄していたという。
寂而山
正蓮院
日蓮宗
和銅年中(708~715年) 改宗=元禄2年(1689年)
日蓮上人像
行基
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