やしまのみささぎ
奈良県奈良市八島町
崇道天皇:全名は早良親王。光仁天皇(第49代)の第2皇子で兄は桓武天皇である。 約10歳で出家をし、東大寺や大安寺に住み、親王禅師と呼ばれていたが、30歳前後の時に桓武天皇が即位すると還俗し立太子..
崇道天皇:全名は早良親王。光仁天皇(第49代)の第2皇子で兄は桓武天皇である。 約10歳で出家をし、東大寺や大安寺に住み、親王禅師と呼ばれていたが、30歳前後の時に桓武天皇が即位すると還俗し立太子される。 桓武天皇が長岡京への遷都を始めると、造長岡宮使・藤原種継が弓矢により暗殺される事件が起こる。大伴氏や藤原氏の多数が捕縛・斬首される中、早良親王も首謀者として乙訓寺に幽閉される。 早良親王は出家時代から平城京の寺院に多大な影響力があったが、遷都により権力が薄れてしまうのを恐れて造長岡宮使を殺害したと疑いを掛けられたのである。 結局、淡路へ流罪となるが断食をして無罪を主張、配流中に大阪府守口市付近で憤死(興奮し過ぎの死)した。 そのまま淡路の山稜に葬られたが、長岡京で疫病が流行したり、川が氾濫、皇族に多数の死者が出るなどの不幸が続いたのは早良親王の祟りだとして延暦19年(800年)崇道天皇と追称(歴代には数えない)、延暦24年4月に親王の遺骸を現在の陵へ移葬した。 陵の近くには「崇道天皇神社」が3ヶ所、紀寺町には「崇道天皇社(御朱印有り)」があり、どこも主祭神は早良親王である。
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