こうふじょう まいづるじょう
山梨県甲府市丸の内1-5-4
甲府城は、武田氏滅亡後、豊臣政権の重臣浅野長政・幸長親子らによって一条小山と呼ばれる丘陵地に築かれた平山城で、武田氏館に代わる城として築城された。 本丸や稲荷曲輪・数寄屋曲輪は野面積の石垣が残り、..
甲府城は、武田氏滅亡後、豊臣政権の重臣浅野長政・幸長親子らによって一条小山と呼ばれる丘陵地に築かれた平山城で、武田氏館に代わる城として築城された。 本丸や稲荷曲輪・数寄屋曲輪は野面積の石垣が残り、天守台は江戸城・名古屋城・会津若山城につぐ巨大なもの。 豊臣政権下では徳川氏を押さえる城として重視された城だが、江戸時代には、外敵の江戸侵攻を阻止する城として代々将軍家の子が城主となり引き続き重視された。 その後、柳沢吉保が徳川親藩以外で初めて城主となって入城した際に、城の拡張と修築が行われ城下も整備されたが、子の吉里が大和郡山へ移された後は、幕末まで幕府の直轄領となった。 1868年の戊辰戦争では新政府軍に恭順し板垣退助らは無血入城を果たした。 現在は、城跡の一部が「舞鶴城公園」「甲府市歴史公園」として開放されている。
JR中央本線 甲府駅南口から徒歩約5分
近隣に有料駐車場あり。
あり。