くじょうのみささぎ
京都府京都市伏見区深草本寺山町
仲恭天皇:生後1か月で立太子。父の順徳天皇が、祖父の後鳥羽上皇と共に鎌倉幕府執権であった北条氏追討の挙兵(承久の乱)に参加するため、承久3年(1221年)4月20日に譲位され4歳で践祚。同年、祖父の..
仲恭天皇:生後1か月で立太子。父の順徳天皇が、祖父の後鳥羽上皇と共に鎌倉幕府執権であった北条氏追討の挙兵(承久の乱)に参加するため、承久3年(1221年)4月20日に譲位され4歳で践祚。同年、祖父の後鳥羽上皇が承久の乱を起こしたが、北条泰時率いる幕府軍に敗北し、後鳥羽上皇・順徳上皇・土御門上皇は配流される。 後鳥羽上皇の直系であった仲恭天皇は幕府から7月9日に後堀河天皇へ譲位させられ、歴代最短在位期間である78日の天皇となる。 退位後、母親の実家である摂政・九條道家(天皇の叔父)の邸宅に引き渡され、天福2年(1234年)17歳にて崩御された。 天皇は承久の乱での混乱や短期間の在位などから、即位礼や大嘗祭を行っていないため、諡号・追号がされず「九条廃帝、承久の廃帝、半帝、後廃帝」と呼ばれていたが、明治3年(1870年)7月23日に神祇官で祭典執行、祝詞をして奉諡を行った。翌日、弘文天皇(大友皇子)、淳仁天皇(淡路廃帝)とともに仲恭天皇の諡号が布告されるのである。
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