ほうせいじ
千葉県館山市北条1084
鎌倉時代中期の文永元年(1164年) 日蓮大聖人は鎌倉から小湊に帰郷され、臨終された御生母を生き返らせた。 この不思議を耳にした興津城主の佐久間兵庫の守・十郎左衛門重貞は、この地方に流行していた..
鎌倉時代中期の文永元年(1164年) 日蓮大聖人は鎌倉から小湊に帰郷され、臨終された御生母を生き返らせた。 この不思議を耳にした興津城主の佐久間兵庫の守・十郎左衛門重貞は、この地方に流行していた疫病を鎮めんと日蓮大聖人に依頼した。 大聖人は祈祷修法によって、たちまち疫病を治められた。 その法力に感動した城主・重貞は大聖人に帰依し、自分も出家した。 さらに嫡子・長寿丸も大聖人の弟子となり、日保と名乗って釈迦堂を教宣の道場として開いた。 大聖人はこの寺を広栄山 妙覚寺と命名した。 後年、日保上人の弟子の日聖上人によって、この館山北条の地に草庵が建てられた。 これが当山法性寺の始まりである。 師匠の日保上人を第一世、日聖上人を第二世とし、開山は日蓮大聖人がこの地で説法された文永元年と定めた。 現住職は第四十八世である。
日照山
日蓮宗
館山駅から直線距離で836m
有り